参加しているメーリングリストで紹介されていたため、この『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(福田ますみ:著 新潮社)を読んでみました。
驚きました。
何年か前に、「血が穢れている、と言って児童を差別し、自殺未遂に追い込んだ教師」等と報道されていたのを覚えていましたが、その事件の真相に迫る克明なルポルタージュでした。本の帯には、「第6回・新潮ドキュメント賞受賞」ありましたが、至極納得のいく労作です。
本の紹介として、本の帯に書かれていた文章を引用します。
「「早く死ね、自分で死ね!」
二〇〇三年六月、全国ではじめて「教師によるいじめ」と認定される事件が福岡で起こった。
問題の小学校教師は、担任児童を自殺強要や凄惨な暴力でPTSDによる長期入院に追い込んだとされ、「殺人教師」とまで報じられた。
だが後に、この一連の事実は、児童両親による「でっちあげ」だったことが明らかになっていく…」
そもそも、この事件が冤罪の色合いを強濃く持ったものとなっていた経過すら、この本を読むまで知りませんでした。本文中にも何度も出てきますが、マスコミはセンセーショナルに取り上げたこの事件の続報を封印しているかのようです。著者の福田によると、最初にこの事件をスクープした朝日新聞の市川雄輝記者は、その後の福田の問い合わせに対し「取材のやりとりについて答えただけで、それ以外の質問はいっさい受け付けな」いとのこと。「殺人教師」を実名入りで報道した週刊文春の西岡研介記者は、「こちらが裁判で明らかになった事実を説明しても、いっさい聞く耳を持たな」いとのこと。本書にもあるように、この事件は「松本サリン事件と同じく、過熱報道が招いた冤罪事件である可能性が高く、担任を体罰教師と決めつけて、一方的な報道に走ったマスコミ」によって捏造されたものと強く感じました。
〈加害者〉とされた担任側の視線に筆者が立った著作なので、〈冤罪〉と決めつけるのははばかられるかもしれませんが、〈被害者〉側の児童・両親が原告として担任と市を訴えた民事訴訟第一審の判決(平成18年7月28日)では、“原告らが主張するような体罰は認められない、PTSDの診断は信用できない、担任による人種差別・自殺強要などの発言がすべて否定”されたとのこと。これはもう冤罪事件であると断言して差し支えないでしょう。
どこにでもいる子ども思いの教育熱心な一教員が、瞬く間に「殺人教師」とされていく経過に唖然としました。また、報道を鵜呑みにした弁護士が全国から続々と集まり、〈被害者〉となった児童を応援するために、民事訴訟の第一回口頭弁論の際には原告側弁護団が550人に膨れあがっていた…ということにも驚きました。このとき、〈加害者〉である担任教師には、まだ代理人を引き受けてくれる弁護人が見つかっていなかったのだそうです。この後、担任教師はこの追い込まれた窮状に義憤を覚える弁護士と出会うこととなるのですが、「正義」の名の下に振りかざされる暴力、数を頼みとして一人を追い込んでしまう権力について考えさせられました。これらの550人の弁護団とは、いったい何のために組織され、そして一人一人は何を思ってこの弁護団に参加したのでしょうか。弁護士による芝居を見たあとだけに、さまざま複雑な思いを抱きました。
著者、福田はこの事件をこのように総括しています。
「子どもは善、教師は悪という単純な二元論的思考に凝り固まった人権派弁護士、保護者の無理難題を拒否できない学校現場や教育委員会、軽い体罰でもすぐに騒いで教師を悪者にするマスコミ、弁護士の話を鵜呑みにして、かわいそうな被害者を救うヒロイズムに酔った精神科医。そして、クレーマーと化した保護者。
結局、彼らが寄ってたかって担任教師(本文中では仮名表記)を、“史上最悪の殺人教師”にデッチ上げたというのが真相であろう。」
……さて、ここから何を教訓として学び、これからを泳いでいったらよいか。
注意深く、かつ大胆に… どのように〈自己実現〉をはかっていけばよいか。
衝撃的な、ドキュメンタリーでした。
最近のコメント