« 「女中たち」 | トップページ | 『出世景清』 »

『女中たち』ふたたび

王子小劇場、初日。
正式名称は…やや長いが、「劇作家岸井大輔と、劇作家弟子田口アヤコによる、劇作家師弟ユニット ころがす」による、田口アヤコ作・演出『手を離したとき目をつむっていたのか それとも最初から目はつぶれていたのか 〜ジャン・ジュネ作「女中たち」より』というもの。
ジュネの「女中たち」をベースにしながら、さまざまに解体、料理しているのがおもしろかった。ソランジュを男優2人と女優1人、クレールを男優1人と女優2人が、それぞれにパートナーを変えながら、ときには2組3組のペアが同時並行で舞台にいる。また、ぺアのかけあいの途中でちがう一人がからみ、パートナーが入れ替わることも。ある程度、話が進んだところでペアが替わり、少し戻ったところからお話を繰り返してストーリー理解をフォローするのは丁寧だった。それも、ただ繰り返すだけでなくそのペアごとに違いがあり、「ソランジュ」と「クレール」という〈姉妹〉関係にもさまざまな形があるんだということを現前化させる。
そのうち、一番前の桟敷下手でいろんなペーパーを広げて見ていた〈客〉が、じわじわと下手の壁ぎわから舞台空間に侵食しだし、ついにはあるときおもむろに立ち上がり、明かりの当たる位置に進み出て「ぼく、ジャン・ジュネ」とぼそぼそと語り出したのには笑った。あらかじめパンフに「ジャン・ジュネ」の役があることが書かれていたため、意外性という点では効果が半減してはいたが、役者の演技が十分それをカバーしてサプライズだった。
開場中より開演直前まで舞台上でパフォーマンスをしていた若い女優がいたが、どうやらそれが作・演出の田口アヤコだったようだ。田口は、その後、奥様役として象徴的にワンシーンだけ出演する。
「奥様」は、ソランジュ、クレールを演じた女優たちによって表現される。現実の奥様は象徴として示されるだけで十分であり、大切なのは女中たちによって〈演じられる〉「奥様」なのだ。
「手が汚れているおとこ」について、最後にストレートに「マクベスだよ」とネタばれするのは冗長だったか。ジュネという難解な作品を本歌取りとした以上、安直にシェイクスピアの種明かしをしなくともよかったかな、と。
このような意味で、「女中たち」をさまざまに解体・料理した作品だな、と感じた。
役者の演技的には、やや若手男優陣に奮起を期待したいものがあったが、この公演を紹介してくれた釘本さんはじめ、ベテラン(と、言っていいのかな)俳優がしっかり舞台を締めていた。
全編を流れる音楽と演技との呼吸の合い方が見事。スタッフの肩書表示に「音響演出」(江村桂吾)とあるのも、とても納得がいった。

|

« 「女中たち」 | トップページ | 『出世景清』 »